浜町河岸夕暮れ

今日のおすすめ本。

2015年11月22日はこちらです。 


『追跡』

千野隆司著 講談社


「鯒のぬた膾でも、作ろうか」

「いいな。酒の肴としては申し分ねえ」

 磯市が包丁を握ると、その手元を吉次郎が食いいるように見たのが分かった。

 頭と胸びれを一緒に落としてから内蔵を除く。身をはずした半身には、

中身が途中まで腹側についているので、それに添って包丁を入れた。

「見事な手つきじゃねえか」

 吉次郎が、感嘆の声を漏らした。

「いや、そんなことはねえ。こんななまくら包丁じゃあ、ろくなものは

できやしねえ」

 磯市は吐き捨てるように言った。実際、包丁の通りが良くなかった。

滑りが悪い上に、刃先が動かす度に骨に小さく触れた。

 次に、おろした身の皮を剥ぐ。皮目を下にして、皮のすぐ上に左から

包丁を入れ、右に動かして行く。皮だけをひと域に剥ぐのが腕だが、

磯市は二度皮を切ってしまった。行李にしまってある柳刃ならば、

こんなへまをしないと思うと舌打ちが出た。

 分葱は塩熱湯でさっと茹でた。うどは細めの拍子木に切り、酢水にさらす。

味噌とすり胡麻をまぜ、酢と味醂で滑らかにすりのばす。これに鯒の切り身と、

水切りした分葱とうどを和えて、縁の欠けたどんぶりに盛った。

「うん、てえした味だ。やっぱり、おめえは素人じゃあねえぜ」

 吉次郎はそう言って、忙しく箸を出して酒を飲んだ。磯市は生返事をしながら、

膾には手を出さず、茶碗の酒を喉に流し込んだ。

 あたりめえだ、おれは素人なんかじゃねえ。いっぱしの板前だったんだ。

 胸の中で、何度も言った。だが鯒の皮を剥ぐのにてこずったこと。

刃先が骨にあたって身をはずすのに動きが鈍くなったことが、気持ちに大きく

引っかかっていた。

 あの包丁でなければ、ああはならない。磯市は何度も考えた。

 けれども、本当にそうなのだろうか・・・。

(本文より)



こちらは初版本で現在絶版となっております。

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