はじめにイメージありき

今日のおすすめ本。

2016年9月9日はこちらです。


『モダン・アートへの招待』

木村重信著 講談社現代新書


 たとえばここにマリリン・モンローの写真がある。それはあくまでも

モンローの虚像であって、実際のモンローではない。しかしモンロー本人を

見た人がどれだけいるだろうか。ほとんどの人は写真や映画によってモンローを

知るのであり、しかもそのような虚像がひとり歩きをして、彼女の人気の源泉となる。

とすると、モンローの写真は、じつは実物とひとしい役割を演じていることとなる。

われわれはとかく虚像の背後にはかならず実体があると思いがちである。

だが現代におけるマスメディアの発達は、虚像の機能を異常に大きくし、

むしろ実像にとってかわらせた。つまり虚像は、ある現実の再現ではなくて、

ひとつの現実の創造なのである。ここに現代が虚構の時代と呼ばれることの意味があり、

またそのような環境に即して、ポップ・アートがうまれたのである。

(中略)

 われわれはテレヴィジョンで浅間山荘の銃撃戦を、パレスティナ・ゲリラの

オリンピック村襲撃を、そしてヴェトナムの戦闘をみる。しかしそれらはほんの

ひととき、軽いいらだちを感じさせるだけで、決してわれわれの平穏な日常を

侵すことがない。現代のマス・メディアの非情さは、見る者の感情移入を

惨酷なまでに拒否しつつ、どんな戦慄的な事件をも、テレヴィのコマーシャルによる

中断にしか感じない観衆をつくりあげた。ウォーホルが、虚像を通して世界を

のぞきつつ、ペラペラの軽薄な単一な映像をあくことなく繰りかえすのも、

このような観衆と自分を同列におくからである。そのことによって、かれは、

その絵を見る人の毎日が平穏で退屈で、変化も希望もない繰りかえしであることを

思い知らせる。逆説的にかれはいう。「自分がこういうやり方で描く理由は、

私が一個の機械でありたいからである。だれもがそっくり同じだったら、

どんなに素晴らしいことだろう」と。また、こうもいう。「個性、個性という

連中にかぎって、じつは型破りなものにいちばん反対する。そして数年もたつと、

逆のことが起こるのだ」と。

(「アメリカの新しい波」本文より)


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